祭りのあとで

2019年9月1日、十五祭の個人的オーラスを終えた。感想を走り書きしたメモやツイートをたよりに書き始めたこの記事はいつも以上に支離滅裂でまとまりがない。でも何か書き残しておきたい気持ちが渦巻いてしまいなかなか治まりそうもないので、できるところまでブログの編集画面と向き合ってみようと思う。

 

過去をまるごと背負う人たち

関ジャニ∞のセンターとしてすばるさんが活躍した14年間はあまりにも長い。センター不在という穴は誰かが急いで塞げるような大きさではなく、傷跡もまだ生々しい状況で敢行された2018年の『GR8EST』は、メンバー全員が火事場の馬鹿力を発揮したことでなんとか最後まで完走できたツアーだと思う。その後の円盤も含め、後世に語り継ぐべきすばらしい作品だった。しかし、あれと同じように気迫と勢いでひたすら駆け抜けるという手段を今後も貫きつづけるのは、30代も半ばを過ぎる彼らの体力・気力的になかなか厳しいものがある。この先もグループを長く続けていくならば、適切なエネルギー消費のもと、適切な速度で安定的に走れることがもっとも望ましい。

そんな心配を頭の片隅に置きながら、今回わたしは7月14日(日)の札幌ドーム、そして9月1日(日)の東京ドームに入った。率直に抱いた感想は二つある。まず一つ目は「15年間の膨大な歴史がとても圧縮されているな…」ということ。

昨年のGR8ESTが異様ともいえるムードだったのに対し、十五祭については全体を通して概ね軽やかな印象を受けた。軽い ではなく「軽やか」。まずオープニングムービーからして非常に良かった。彼らの故郷・松竹座と、歴史絵巻をモチーフにした15年間のダイジェスト。未だ記憶に新しいすばるさんのことだけでなく、長年あまり触れられてこなかった内くんについても改めて言及することで、グループの主たる歴史をすべてオープンにし、笑いの要素もまじえながらポップに再編集までしてみせたのだ。惚れ惚れするほど鮮やかな手腕。わたしはこれを「エモの中和」と呼びたい。2018年はとにかくエモな一年だったが*1、あまりそのムードが長期化しすぎると、新しく来る人が気軽に覗いたり語ったりするのが難しくなってしまう。だからこそエモ成分がほどよく中和されたこのオープニングは効果が大きいと思う。古株もご新規さまも、きっとこれからやってくる人も、全員が気負わずフラットに楽しめるような工夫に満ちていた。どんなタイミングで沼に飛び込んだとしても我々は彼らの援軍であり歴史の目撃者。そこにお涙ちょうだい的な臭みを一切醸し出さないところにプロとしての強い矜持を感じ、グッときてたまらないものがあった。

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BOYとなった8人がデビュー会見の姿のままツアー最終日の東京ドームに姿を現したのは、物語として完璧すぎる。でもこれはチョロい感動演出などではなく、血の通った彼らなりの意思表明だと思った。2007年8月5日から実に12年越しの全員集合だ。伏線回収とかそういう綺麗なもんじゃなく、異例中の異例を堂々とやってのけるための説得力を15年かけて身につけ、誰にも文句を言わせないレベルまで強く大きくなったおっちゃんたちの、努力の実りに他ならない。そのうえ8人それぞれが今のステージにきちんと立ち続けているからこそ叶った夢だ。これだからおっちゃんたちは最高なのだ。

話は一気にライブ終盤へと飛ぶが、アンコールのシングルメドレーも非常に明るくて無邪気で、みんなの心をあたためつつ、泣きたくなったら泣くことも許容されているような、全方位への優しさが詰まったものだった。6人全員が仲良く乗り込んだフロートには歴代シングルのMVが次々と映し出され、内くんもすばるさんも隠されることなくそこにいる。MVの若かりし内くんと34歳の錦戸さんがおんなじタイミングで歌う場面は、いたるところでピンクを見つけるたびにドキドキ深読みばかりしていた自分の心までも救済されるような、愛おしい光景だった。

 

かつては観客全員の首元に噛みつくぐらいの勢いで披露していたはずの『NOROSHI』も、全員色違いのツアT姿で和気あいあいとした雰囲気のまま歌われた。ここまでふわふわとして楽しげなNOROSHIを見るのは初めてだったので、多少の戸惑いはあったが、札幌から一夜明けて冷静に考えてみたら案外ストンと腑に落ちた。こうでもしないと、オタクも本人たちも思い出に阻まれて身動きがとれなくなってしまうことに、彼らはどこかで気付いたのかもしれない。

本編のロマネにしても、何か特別な演出がなされたわけではなく、ただ「バラード曲のひとつ」として中盤にポコンと存在するのみだった。言うまでもなくロマネは関ジャニ∞の中でも3本の指には入るレベルで大切にされてきた一曲であり、やろうと思えば壮大な演出とともに切々と歌い上げることだってできたと思う。でも彼らはそれをしなかった。いろんなことがありまくった15年間を、今回のツアーではあえてギュッッッと押し縮めることで、思い出をもう少し身軽に持ち運べる状態にして次のステップへ向かおうとしてるんじゃないかな、と。やれと言われてもできないのがファンという生き物なので、彼らがまずは先陣を切る形でそれをしなければならなかったのだと思う。

 

ふわふわ、そわそわの夏

もう一つ感じたのは「“未来”はどこにあるのだろう?」という一抹の不安である。

たとえば2017年のジャムは、「音楽性の広がりと深化」というような誰にでもわかりやすいビジョンがアルバム自体に含まれていて、今後も彼らはさまざまなアーティストと交流を深めながら、ますます自由に関ジャニ∞を体現していくのだろうと想像することができた。そして2018年のGR8ESTは「なんとか全公演を走り切る」という共通認識がファンとメンバーとの間にできあがっていたから、あえてその先の未来について今すぐに言及する必要性があまりなかった。その点でいうと、今年の上半期はそもそも6人揃ってのメディア露出が極端に少ないという特異な時期であったため、それまで当然のようにあった「前提」的なものがほとんど匂わされないまま、ふわっと夏が来ちゃった感は正直否めない。松竹座で6人がドリブラ歌ってる場面もしれっと差し込まれてたけどそれわたし見てないぞ? えっ知らない間に円盤化してた…?ってなったレベル*2

先述の演出やグッズラインナップを含め、“過去”はあらゆる手段を用いてふんだんに盛り込まれていたし、相変わらず多忙なスケジュールの中で今を乗りこなす6人の“現在”がそこにはある。ではこれからの彼らが作り出そうとする“未来”とはどういうものなのか。15周年の感謝という一大テーマはあれど、その先の彼らがどこへ向かおうとしているのか、セトリや挨拶などからはそのヒントがなかなか見つからなかったので、本編の随所で少しもどかしく、そわそわした感覚を抱いたのは事実としてある。

得体の知れないそわそわ感の要因のひとつに、ラストの挨拶が生で行われなかったことが挙げられる。全公演、同じ映像で伝えられた6人からのメッセージ。直前のLIFEが演出も込みで最高すぎただけに、この謎の映像によって会場の空気が若干モニョン…としてしまうのは少しもったいなかった。何か言いたげではあるのに核心をつく言葉が出てくるわけではなく、ただ「裏ではいろいろありました」とか「いろいろあるけど笑っていこう」とか「最低で最弱なときもずっと応援して」とか、発言の一部を切り取って論じるのは大変野暮だが、率直に(どうした?なんかあった?)と思わざるを得ない、100人に100通りの解釈が生まれそうな淀みを感じた。だいたい「最低で最弱なとき」というのがいつの話なのか全然わからないので困ってしまった。少し前の話をしているのか、リアルタイムの話なのか、それともこれからやってくるのか。

映像明けの曲が『咲く、今。』だったのにもなかなか心をかき乱された。かと思えばアンコールのシングルメドレーを無邪気に歌ったり、いよいよの締めには『ひとつのうた』を持ってきたりするので、まさに心はローリング・コースター! ライブ終盤でいっきに情緒が迷子と化した。だって『咲く、今。』と『ひとつのうた』なんてほぼ対極にあるといっても過言ではない2曲だ。“それぞれの今を始める”のと“いつまでも肩を並べる”のとでは、なんかいろいろと違うよ!? 大丈夫?? あったかいココア飲む???

とかいろいろ言ってはみたものの、変に考えすぎることにあまり意味がないのはわかっている。まあなんといっても「僕たちからのラブソングです」とか言ってなぜかゴリッゴリの失恋ソング『I to U*3』を嬉しそうに披露してくれる大変かわいらしいおっちゃんたちなので、直近のバラード曲をラストに置いてみた結果、思いもよらずモニョ~ンな雰囲気になってしまっただけかもしれない。それこそロマネと順番が逆だったら少し印象も違っただろうか? ま、でもたまにはそんなこともあるよねって感じ。

 

答えはいつも歌の中に

“絶対”とか“永遠”って実は存在しないらしいぞ、ということを昨年みんなで知ってしまった。だからこそあえて未来を多くは語らないのが彼らの今のやりかたなのかもしれない。2年前までの彼らでは出し得なかった諦めの色気をほんのり漂わせるおっちゃんたちを見ながら、そんなことも考えた。関ジャニ∞の歌は関ジャニ∞にしか歌えないものばかりだ。そして彼らの出す答えは不思議といつも歌の中にある。東京のアコースティックコーナーで披露された『蒼写真』は、まさに6人の答えではないかと思う。力強くもどこか必死で泥くさい、彼らならではの日本語詞の良さをしみじみと再認識した。

時計の針があの頃まで もう一度 戻ったとしても
きっと同じ道を選んで 悩み歩いてきただろう

十五祭はオタクに甘くて優しくて、時折ピリッとセンチメンタルで、どこかふわふわした不思議なツアーだった。15周年の感謝をテーマに掲げているだけあって、安田さんは頻りに「ここまで連れてきてくれてありがとう」とアイドル全開の笑顔を見せてくれたし、大倉さんもラジオでしょーもない妄想を繰り広げてばかりとは思えないほど(髭も剃って)キラッキラだった。村上さんはアンコールになったとたん急に4才児になってしまうし、そんな村上さんにぺしぺし頭を叩かれながらNOROSHIを歌う丸山さんは昨年よりも少し肩の力が抜けた印象。トランペットの音色がまっすぐ伸びる横山さんも随分と表情が明るくなった気がする。錦戸さんは、りょうちゃんは変わらずちゃんとそこにいた。いつものうるうるの目をした子犬のりょうちゃんだった。ステージドリンクの牛乳を飲む姿も、後頭部の丸みも変わらずかわいい。もうそれだけでオタクはうれしい。ここまで連れてきてくれてありがとうって言われても、こっちこそ逆にこんなに長いこと楽しませてくれてありがとうって感じ。いつもわがままばっかりでごめんね。

ついさっき会ってきたばっかりなのに、さあ次はいつ彼らに会えるだろうかと既に待ちきれない自分がいる。幸いなことに主演舞台を控えている自担とはまたすぐに会える。でもわたしは早く次の関ジャニ∞に会いたい。彼らの作ったものに今すぐ驚かされたい。もう驚くほど渇望しちゃってる。彼ら自身がしんどくならない程度に、焦らずゆっくりでいいから、またそのうち次の未来を見せてほしいなと願ってやまない。(安田さんの歌とダンスが最高に最高に最高に最高だった話もしたかった!また今度!)

*1:それは狙ってそうしてたわけではなく、ただ彼らが動いているだけでもみんな感傷的にならざるを得なかったので仕方ない

*2:このたびめでたく円盤化されるよ!やったね!

*3:どうもお気に入りなのか最近のセトリによく入ってくる